Audrey Hepburn’s Emotional Final Gift from Hubert de Givenchy

オードリー・ヘップバーンがジバンシィから受け取った「最後のプレゼント」

オードリー・ヘップバーンが63歳のときに、余命3カ月の宣告を受けた。そのさい、彼女が望んでいたのは、スイスでクリスマスを過ごすことだった。その願いを叶えたのは、友人でファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィだ。 Words by Hilary Weaver Translation by Hiroki Sakamoto/Galileo
Hubert de Givenchy  Audrey Hepburn celebrating the 30th anniversary of Givenchy's first collection Paris 1983. PREMIUM...
Hubert de Givenchy & Audrey Hepburn, celebrating the 30th anniversary of Givenchy's first collection, Paris, 1983. PREMIUM CONTENT: HIGHER RATES APPLY. Photo: ©Joe Gaffney/Courtesy Everett Collection (JoeGaffney_Hepburn_Givenchy_2596)
ユベール・ド・ジバンシィ(左)、オードリー・ヘップバーン(1983年)写真:Everett Collection/アフロ
映画『麗しのサブリナ』で主演を務めたヘップバーンは、ジバンシィが手がけた衣装を着用した(1954年)
映画『パリの恋人』(1957年)に出演したさいも、ジバンシィのドレスをエレガントに着こなしたヘップバーン。写真:Everett Collection/アフロ
ヘップバーンがローマでジバンシィのドレスをフィッティングする様子(1959年)写真:Everett Collection/アフロ
映画『尼僧物語』(1959年)の撮影現場で、ジバンシィがヘップバーンの衣装を直す様子。写真:AP/アフロ
1991年、パリで行われたジバンシィのイベントにて。写真:Best Image/アフロ

1993年1月20日、オードリー・ヘップバーンが63歳で亡くなった。彼女が最期を迎える場所として選んだのは、スイス・ローザンヌ近くのトロシュナ村にある、愛してやまない我が家だった。

People』誌が2017年8月17日付けで報じたところによれば、1992年9月に腹腔全体に転移した末期がんが発見され、余命3カ月の宣告を受けたヘップバーンは、ロサンゼルスからスイスの自宅に帰ることを望んだ。しかし、健康状態を考えると、それを実現するには命に関わる危険があった。そこで、2人の友人が、ある計画を提案した。

10年以上前からヘップバーンとパートナー関係にあったロバート・ウォルダーズが『People』誌に語ったところによると、そのふたりとは、旧知の中であったファッション・デザイナーのユベール・ド・ジバンシィと、メロン財閥当主のポール・メロンの妻であるレイチェル・“バニー”・ランバート・メロン。2人はあいはからってプライベートジェットを手配し、ヘップバーンをアメリカから、19世紀に建てられたスイスの自宅まで、細心の注意を払って運ぶ手はずを整えた。

「彼女はスイスに帰ることを強く望んでいました」とウォルダーズは語る。「ロサンゼルスからのフライトでしたが、途中で息を引き取ることも考えられました。だから私たちはプライベートジェットに乗ってもらうようにしたのです。飛行機は、彼女の親友でデザイナーのユベール・ド・ジバンシィと、友人のバニー・メロンが手配してくれました。機内の気圧が急変しないよう、パイロットが降下に細心の注意を払ってくれました。彼女はほとんど生命維持装置につながれている状態だったのです」

こうしてヘップバーンは、スイスの自宅でクリスマスを過ごすことができた。彼女はウォルダースや友人たちに「これまでの人生のなかで、いちばん素晴らしいクリスマスだった」と語ったという。ジバンシィのこの最後のプレゼントを、ヘップバーンが喜んだことの証である。

ふたりが知り合ったのは、ヘップバーンが出演した1954年の映画『麗しのサブリナ』が製作されたときだ。主人公のサブリナを演じるヘップバーンのために、ジバンシィが衣装を手がけ、以来、ふたりは友人同士となった。さらに、1957年製作の『パリの恋人』の撮影中にはさらに親しくなり、ファッションを介した友情が以後、40年近く続いた。現在90歳のジバンシィは、その関係を称して“一種の結婚のようなもの”だった、と英紙『Telegraph』に2015年に語っている。

「私たちの友情は少しずつ深まり、それとともにお互いに対する信頼も深まっていきました。おたがいがおたがいにたいして批判がましいことをいったり、気分を損なうようことをしたりしたことはまったくありませんでした」

ヘップバーンを知れば知るほど、彼女が30年ほども暮らしていたトロシュナ村を心から愛していたことを知ることになる。米紙『USA Today』が2015年に伝えているように、そこは彼女にとって、航海に出た船乗りが帰っていく港のような安住の場所だった。

隣人のひとりは同紙にたいして、「彼女は有名人のようにふるまうことは決してありませんでした。気取らず、とても親しみやすい人でした」と語っている。ヘップバーンは今、トロシュナ村の彼女の元の住まいにほど近い小さな墓地で眠っている。それもまた、彼女の最後の望みのひとつだった。